ぼくたちは、あの頃確かに勇者だった。

ある夜、近くにあるゲオにふらりと寄ったら懐かしのDSゲームが視界に入った。

 

ちなみに、レイトン教授シリーズはご存知だろうか?

 

それはレベルファイブが手掛ける謎解きゲーム。ロンドンの英国紳士、レイトン教授とその助手のルークが謎を解くストーリー形式になっている。今や様々なシリーズが世に出され、映画化にまで発展した超人気ゲームといえる。私が初めて映画館で観た映画が、確かそれだった。上映終了後、嬉々としてキャラクターのストラップを買ってもらったことをよく覚えている。

私が好きなのはもちろん謎解きの成分と共に、魅力的なキャラクターだ。レイトン教授の紳士的な振る舞いと静かに響く声は聞いていてとても心落ち着く。だがしかし、それとは対称的な少年ルークの無邪気なところも、次々と展開してゆく物語には欠かせない。

 

このゲームが流行り始めたのがおおよそ10年前だなんて、時間の早さにゾッとさせられる。あの時は10歳で、今は20歳。小学生時代に親に買って貰った最新機器のDSであのソフトを遊んでいた過去は、かすかに、確かに存在していたのだ。もうあの頃には戻れないけれど子供だった自分を思い出したくて、私はレイトン教授と最後の時間旅行のソフトを手にしてレジに向かった。

 

久しぶりに遊んでみて、とても楽しかったというのが率直な感想だった。また先生とルークに会えた喜び。難しい謎に苦戦した後、ハッとひらめいた脳みそのあの感覚。懐かしかった。

そして物語の内容が時を越える、というだけあって私自身、過去と現在の10年間の時間を越えたような気分になってしまったことは否めない(笑)

 

それにしても技術の進歩のスピードはものすごい。最近ではプレステ4も出たし、さらにはVRなんてのも発売されてより立体的かつ臨場感溢れる時代になってしまった。そのことを思うと、10年前の画素が今と比べて相当荒いものだとしたら...?と不安だったのだが、特に心配することはなかった。...まあ、たしかによくよく見ればちょっとばかり荒はあるように感じるかもしれないが、言い換えれば古風で趣がある。もちろん、現在のゲームだって素晴らしい。画面がとても美しくて、うっかりそれらの世界観に引き寄せられ、我を忘れる程の魅力で溢れている。いい時代になった。

 

そんなことを考えながら、自分で購入した3DSでひと昔前のゲームを遊んでいてふっと虚しい気持ちになる。誰に伝えればいいのか分からない想いがせきを切って流れ出す。それを吐き出したくなったので、少し話したい。

 

 

ゲームと共に育ってきた私たちにとって、ファミコン世代にとっては、ドット柄のゲームほど落ち着くものはないのだ。シンプルでいて奥深いピコピコ音が懐かしくてたまらないのだ。学校から帰ってすぐにコントローラーを握って勇者として冒険した日々はきらきらして眩しくて。プレステ2が故障してしまいまだクリア出来ずにいるあの物語の続きを知ることが出来ないのを、大人になってまで後悔している。このゲームの続編はまだか、と期待する。しかし吉報は訪れない。ゲーム業界だっていろいろあるのは分かってるつもりだ。でも期待している。まるで、答えを知りつつも想いを寄せている片想いのようだ。胸の奥がキュッと苦しいのに似ている。

 

ーーああ、そんな中でも飛び跳ねるくらい嬉しいことがあった。

 

昔、プレステで遊んだファイナルファンタジーX。私はあの物語がたまらなく好きだった。あのゲームに惚れ込んでいた、なのにもう遊べないのかと肩を落としていたのだがPSvitaでリメイク版が出たと聞いて、なけなしの小遣いをはたいて買った。スタート画面と、流れる音楽からもう懐かしかった。キャラクターや風景の輪郭がはっきり映り、さらに美しくなっていた。今は強くなる為、レベルアップの最中だ。

 

 

だから、何を伝えたいかというと【いくら時間が経ってもいいものは  いい】ってことだ。

 

 

家事と食事と風呂を済ませ、空に月が浮かぶ頃。ゲーム機本体のランプを緑に光らせ、後方に小さくなったカードを押し込む。

 

黒の画面から一転、現実世界に私はいない。

あるのは右手に握りられた、ひとつの剣。

静かに目が開かれた。

 

----今度こそ、この物語へハッピーエンドを。